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インドの結婚事情から学んだ「価値観の違い」克服法

先日、インドから友人が奥様と一緒に来日し、3年ぶりに再会することができた。 私が初めてインドに旅行したのは6年ほど前のことになるが、その時にその彼がツアーガイドを務めていたのがご縁となり、帰国後もメールのやりとりを続けて親交を深めていた。 3年ほど前にインドを再び訪れ、一度再会していたのだが、今回は彼が来日する形で二度目の再会が実現した。
通常、ツアー客と現地ガイドがツアー後も個人的に親交を続けることは少ないと思うが、彼と友達になったのは、初めてインドを訪れた際、「価値観の違い」についてディスカッションする機会があり、そこでお互いの考え方やパーソナリティーを理解し合うことができたからである。

インド中央の内陸部に、官能的な彫刻が施されたヒンドゥー教の寺院群が有名な、カジュラーホーという小さな町がある。ユネスコの世界遺産にも登録されているその寺院群は、聖と俗が同居する独特の雰囲気で、神と人間をつなげたい・つながりたいと願う人々の思いが、その独特の美術様式を生み出しているように思える。そのカジュラーホーのホテルのレストランで彼と一緒に夕食をとった後、インドの結婚事情について彼が話しを始めたのがきっかけでディスカッションが始まった。

“インドでは今も「お見合い結婚」が主流である。最近は恋愛結婚も増えてきたというが、それでもまだ圧倒的にお見合い結婚が多いそうだ。ただ「お見合い」といっても、結婚式当日に初めて新郎新婦が顔を合わせるケースも少なくないという。ほとんどの場合、結婚相手は親同士の話し合いによって決められ、同じ宗教、同じカーストの相手と結婚することになる。ちなみに、彼も親が決めた同じカーストの相手と結婚しており、事前に1度会っただけだったという。

カースト制度は1950年に廃止されているが、あくまでも公的に廃止されているだけであって、実態としてはヒンドゥー教との関連でインド社会に深く根付いており、このような結婚の仕組みによって、代々同じカーストが受け継がれていく。したがって生まれた時から自分のカーストは決まっており、一生変えることができない。最下層のカーストに生まれれば、死ぬまで最下層カーストであり、彼らの子供も必然的に最下層カーストとなるのである。インドではこのカーストという特有の事情で、人権・貧困問題解決も一筋縄ではいかない。

また、日本では考えられないことだが、インドの新聞には「結婚相手募集コーナー」があり、広告を載せることで結婚相手を探すことができる。名前と年齢、職業、連絡先ぐらいしか書いていない簡素なプロフィールもあれば、顔写真付きでアピールしているものまで様々だ。また、街中でよく見かけるのは「結婚相手募集看板」で、こちらも何人もの顔写真とともに名前や連絡先が書いてある。
知人による紹介のほか、募集広告を見て連絡し、履歴書や写真などを送って、気に入れば占い師に相性を占ってもらい、その相性が良ければ縁談を進めるのが一般的だという。
また、法律的に離婚が簡単ではないということもあり、離婚率が非常に低いのだという(ただし、離婚後の社会的・経済的な問題を考えて”離婚したくてもできない”ケースも多いと想像される)。

そこで私は、このような結婚の仕組みを聞いて「結婚した後に、性格や考え方・価値観が合わなかったらどうするのか。自分と合わない相手でもうまくやっていけるのか。」という質問をした。
いわゆる「性格の不一致」とか、「価値観の違い」というやつは日本でも離婚の主な原因であり、インドのように事前にお互いの性格を知ることもなく結婚すれば、問題が多いに違いないだろうと思ったのだ。

ところが、彼から返ってきたのは「なぜ相手を自分に合わせようとするのか。自分が相手に合わせればいいではないか。」という、私を諭すような答えだった。

私はこの言葉を聞いたとき、こんなインドの田舎町で、インド人のガイドさんからこんな言葉を返されるとは夢にも思っておらず、後ろから頭を殴られてハッと目が覚めたような、まさに「目から鱗が落ちた」という感覚になったのを今でもよく覚えている。
それまで自分では、決して自己中心的な考え・行いをしてきたとは思っておらず、むしろ協調性があるほうだと勝手に思っていたのだが、私がした質問は、全く自分中心の考え方であることに気付かされた。
そしてこれは配偶者や恋人に限った話ではなく、全てのコミュニケーションにおいて活用できるヒントだとも思った。

「相手を自分に合わせるのではなくて、自分が相手に合わせる」
しかし「相手に合わせる」ことは決して「自分を抑える」ことと同義でないだろう。相手の考え・価値観を理解してこちらから歩み寄ることはもちろんだが、一方で自分の考え・価値観をきちんと相手に伝え、理解してもらうことで相手からも歩み寄りがなされ、結果として双方の歩み寄りがなされること、つまりアサーションが重要ではないかと考えている。

また、逆説的なことを言うようだが、人はみな考え方や価値観が異なるのが当たり前であって、何から何まで完全に一致するということはない。したがって、どんな相手に対しても歩み寄る努力は必要であるが、完全に一致することを期待しても徒労に終わるのである。
「自分と他人は違うもの」という大前提がよく分かっていれば、歩み寄ってもなお存在する考え方や価値観の差異はあまりストレスにならず、むしろ差異を活かそうというポジティブな発想をもつことができる。これはダイバーシティ(多様性)の尊重ということにもなる。

日本企業においてもグローバル化が進み、同じオフィスで多様な国籍・文化をもった人々が働くことが多くなった。今まで以上にアサーションやダイバーシティを推進していくことが重要になるだろう。

今回再会したインド人の彼は、奥様とも大変仲がいい。近くで会話を聞いていると(ヒンドゥー語は分からないが、英語や日本語も入り交じっているのでだいたいの内容は理解できる)、二人ともよく話し、相手の意見や考えを否定することはほとんどなく、お互いの意見を尊重しあっていることが分かる。

現在、彼はインドでのツアーガイドの経験を活かし、旅行代理店を起業して友人たちと経営している。
主に日本人を対象として、個人向けにパッケージツアーの販売やチケット等の手配、現地ガイド・通訳サービスを行うほか、法人向けにも同様のサービス、さらにはマーケティング代行なども行っているという。

彼が起業すると聞いたときは嬉しかったが、それ以上に嬉しかったのは、「その会社の利益の5%をチャリティーに回すと決めている」と聞いたことだ。彼の会社のホームページには、実際に行われたチャリティーの様子が掲載されている。
6年前も、私は彼がツアーガイドの仕事の合間に街中の恵まれない人々にバクシーシ(喜捨・施し)をしているのを何度も見かけたが、会社のチャリティーの話を聞いて今まで以上に彼の人徳の高さを感じた。
先日、彼と再会した際、私がCSRの仕事をしていることを伝えると、彼はとても喜んでくれた。地理的にも東京とニューデリーは5800km以上離れているのだが、遠く離れていても人間として同じ志をもっている気がして、より絆が深まった一日であった。

執筆者 勝俣有希子

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